記録『山頭火・U』
モノプレイ
構成・演出・演技 上杉塩一

実験・創造工房 研究試演W
2004年6月28日 
麻布ディ・プラッツ
監修 林英樹



1.作品について
「山頭火」を初めて取り上げたのは昨年の藤野合宿であるが、実際に作品と して作ったのは今回で2回目である。実験創造工房Vの「山頭火」では、成功 と失敗・裏切りの末、路上生活者となった一人の男を通して「山頭火」の句と 現代人のリンクを試みた。試演自体はそのとき様々なことを抱えていたのが かえって内面の強い力となったとは思うが、作品としては模索中で形になって はいなかった。

終わった後、林さんから作品としては「山頭火」のひとつの句にアプローチして いく方がいいのではないかというアドバイスを受けた。

「産んだまま  死んでいるかよ  蟷螂よ」

の句とどう向き合っていくか…その句へと繋がる構成を考えることが次への課 題となった。


そう思いながらも日々の忙しさにかまけて何も進まずにただ時間ばかりが過 ぎていく。頭の片隅にはいつもあるが、それが引き出されてくることはない。

ある日突然友人から電話が来る。

「仕事へ行けなくなった…。」

鬱になった友人、

「退職することにしました。」

定年退職までまだ5年も残したまま退職する元同僚、時代は急速に個人の想 いを飲み込み、心の空間を埋めていく。正論で追い込まれ、決められた結果 を求められる中、エスケイプするしか方法がなくなるのは当然だ。最初の「山 頭火」で表現したかった想いと重なっていく。

種田山頭火が漂泊の中で感じていたものはなんだろう。どうしようもなく変えら れない自分と必死で向き合い、自分の存在を確かめながら自分の身体から 湧き上がる言葉を形にとらわれることなく吐く…吐いた言葉がまた自分へと向 かい、突き動かす。

そんなことを思った時、もう一度初めの自分のコンセプトで作品を作りたいと 思った。時代の波に飲み込まれながら、必死で自分の譲れないこだわりを持 ち続け、不器用にしか生きられない人たちへの鎮魂歌〔レクイエム〕、それが 「山頭火2」の私自身の想いである。



2.試演が終わって
他の作品に比べ、わかりやすい作りである。それは前回の時も同じで、もう少 し構成を考える必要があるとやる前からわかっていたが、今回は自分の想い だけで突っ走ってしまうことにした。自分勝手は承知の上、あの作品を自分が やることに意義を見つけていた。

始まってすぐにこれまで見ていた観客の空気と変わったのを感じた。それは 別に拒絶されている感じではなく、見守るような不思議なトーンだった。構えて いたのがふっと緩んだのかもしれない。そんな観客の心の動きは、少し自分 に開き直りを与えた。これまで何度かモノプレイをやっているうちに創られた 自分に対し見守られる視線は実験創造工房での独特なもので、それが妙に 嫌で観客と対峙しようとぶつかる感覚は、結局独りよがりに演じてしまう結果 へと導いた。「わからないだろうな」どこかでつぶやいている自分がいる。

はじめの部分、リストラされた団塊の世代。必死で生きようとするが捨てきれ ない自分に握り拳を振り上げる。振り上げた拳はその振り下ろす場所を失 い、過去への想いの中で彷徨う。ネクタイをハサミで切り落とした瞬間、山頭 火の言葉が身体の底からわき上がり、歯茎からにじみ出てくる。

最も大切な場面、この一瞬のためにそれまでがあった。そのくらいこの場面 が作品の中のクライマックスだと考えていた。言葉がわき上がってくる。

「賽の道を行く・・・賽の道を行くほかない私である」

自分の中ではこだまして響いている声が、観客には聞き取れない。後でビデ オを見たとき愕然とする。最も大切な言葉を観客に伝えられなかった冷静さを 失った自分に腹が立つ。

今回は自分の想いで突っ走る、そう思っていた自分が馬鹿に見える。これ は、演劇なのだ。伝わらない想いなど意味が全くないではないか。そんなこと も、聞こえていないことも気づかずに自分はようやく自分の居場所に戻ったか のように山頭火の句を吐いていた。

「まっすぐな道で さみしい」

「誰か来そうな 雪が ちらほら」

「やっぱり 一人がよろしい雑草」

ゆたかに のびやかに すなおに さびしいけれど あたたかに・・・
その山頭火の言葉を心に繰り返しながら吐いた。
切り取られたネクタイと切ったハサミが、蟷螂の句と重なり合う。

「やっぱり 一人は寂しい枯れ草」

この句で終わるのは、何度も検討した。レクイエムとしてどうだろうかと悩ん だ。しかし、やっぱりこの句にしたのは彼らを抱きしめたかった想いにほかな らない。

構成がまだまだだと今回も指摘された。自分の想いやコンセプトが観客に伝 わっていかない。自分の身体の問題もあるだろう。センスもあるだろう。もっと 感覚を研ぎ澄まし、観客を巻き込み、覆し、引きずり込んで身体を金縛りにす るくらいの芝居がしてみたい。なんと遠い道のりか・・・今は日々精進。

修行はまだまだ続く・・・


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