記録 『暗い森』
モノプレイ
構成・演出・演技 酒井忠親
テクスト引用:『地獄の季節』高山文彦著、『地獄の季節』(ランボー)
『少年A、保護者の謝罪文』、『マルテの手記』(リルケ)、
『ツアラトゥストラはかく語りき』(ニーチェ)、『神曲』(ダンテ)
2004年9月25日
藤野芸術の家・クリエーションホール
実験・創造工房研究試演X(限定公開)
自分の作品に関する総括
「大塩平八郎」を離れてやってみよう。行き詰まりを見せ始めている『OHSHI
O』にいい形でもどってくることを信じて・・・
そんな動機から合宿でのモノプレイを申し出た。かといって、自分の中に、表
現したいと思っていることが何なのかつかみかねる。
丁度、この夏は天童荒太の「家族狩り」五部作を読んでいた。毎日のように流
される殺人事件、特に、一連の少年犯罪を自分はどうとらえるのか、そこから
出発してみようと考えた。家族間での殺人、児童虐待、立ち止まることのでき
ない日常で、一度立ち止まって思索したかった。
今年、佐世保で起きた事件は衝撃であったが、脈々と現在に辿り着く少年犯
罪の水源にやはり、97年に起きた神戸での児童殺傷事件があると思う。
酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年Aによって引き起こされたこの事件。95年1月に
阪神淡路大震災、3月地下鉄サリン事件から始まるオウム事件。ようやく、落
ち着きを見せ始めた頃、世の中、正に世紀末を感じさせた事件だった。
手がかりとなる本を高山文彦「地獄の季節」に求めた。この事件そのものを表
現することでなくても、今の自分に引っかかる言葉を拾い集め構成していっ
た。
神戸家裁の決定要旨にある少年Aの家族間の問題や行為障害といったこと
ではなく、少年Aが住んでいた須磨ニュータウンという人工的な街の閉塞性。
自分が現在の住居をかまえる前、いくつか物件を内覧した多摩ニュータウン
で感じた息苦しさ。そこが自分にもつながると思えた。美しい街並みや全国ど
こへ行っても同じような土産が売られている日本。場末のような場所が失われ
つつあることと、「死」が現代の我々の目から遠ざけられていくことには共通し
たものを感じる。病院での死、共同体の人間関係の希薄化、「生」だけが許さ
れる生活空間、「死」を身近に感じることはできない。皮肉にも都市化が進む
ほど、置きざにされた「死」を呼び込むかのように繰り返される殺人。そんな、
構図のように感じる。リルケがすでに近代ヨーロッパのパリの街にきてそのこ
とを指摘してきたことは驚きであった。
では、自分の表現にリアリティがあったかどうか、見ての通りである。今回の
表現で意識して望んでいたことは、自分の言葉や動作でその空間を支配でき
るかということだった。空間として成立し得ているかどうか・・・淡々とした言葉
の言い回しや、調子を変えられない場面もあるだろう。不器用は不器用なりに
自分の表現を見出せるよう一瞬一瞬の言葉との出会いを求めていきたい。
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