記録 『オイディプス<つみつま>』 
実験・創造工房 研究試演X
2004年9月23日(木・祝)〜25日(土) 
藤野・芸術の家クリエーションホール
監修 林英樹
 
モノプレイ
構成・演出・演技 桑原健   
テクスト引用 『オイディプス王』(ソフォクレス作、藤沢令夫訳)
2004年9月23日
藤野芸術の家・クリエーションホール
実験・創造工房研究試演X(限定公開)

総括


3度目の「モノプレイ」。3度目のオイディプス。モヤモヤしたものがずっと、あ った。
結論から言うと、発表が終わった時点で、そのモヤモヤはまだ晴れていなか った。


前回の作品を基盤に、付け足したものは、バケツに入った<水>。他には特 に無い。
「つみ・つま」の言葉遊びを継続させる事は決まっていたので、「では、なぜソ レを使うのか?」という所から入っていった。

言葉を解体し、<音>にするという行為は、さかのぼる作業であって、ルーツ を探ることでは?と考えた。言葉遊びは原始的な作業なのだ。
それならば、人間が(生き物が)体験する原始的なモノは感覚的であるから、 音を聴く以外の五感にも訴えてみようと思い、<水>を用意した。
水に触れる。温度を感じる。水音を聴く。匂いを感じる。味を感じる――。
視覚を殺したうえで水に触れる事で、よりハッキリと水の与える感覚を認識し ようと思ったのだ。
なぜ水かといえば、人間が最も多く関わっている物質のひとつだから。
母親の胎内に居るとき、常に触れている<水>。人体の構成をほとんど占め る<水>。生命が誕生したと言われる<水>。無くなれば死ぬ<水>。
もちろん、水音の出すイメージを観客に与えたり、汚れた手を洗うという演出 的効果もあったのだが、最も重要なのは、自分自身がその感覚を認識し、言 葉と直結させる事だった。
感じた事で生み出された言葉は、ハッキリとリアリティーを持つハズなのだ。

――と、ここまで書いた事は、今、レポートを書きながらまとめたもので、発表 中はモヤモヤしていた。ゆえに、構成がイマイチでバラバラだった。ハッキリと 繋がったのは、2日目の真夜中である。

突然、理解した。

自分がもっとも信用していたモノを誰よりも信じていなかったのは自分自身だ った。
その事が実感として解かった。

すぐにでも次をやりたい。どんどん頭に溢れてくる言葉達を生み出したい。今 はそう思っている。


                       九月二十六日 深夜



【2-弐 『オイディプス<つみつま>』 総括その二】


『オイディプス王』に別のテキストや現代的な部分を組み込む事は考えてはい たのだが、どうも踏み込めなかった。単純に自分の知識不足もあったが、エ ディプスコンプレックスを現代の少年犯罪などにからめて扱ったりする事に、 何かブレーキがかかっていた。
自分はまだそれをやってはいけない気がした。

『オイディプス王』に登場する人物達は、国のため、王のため、国民のために 汚れた者の詮議を行おうとする。が、その結果見えてきたのは、恐ろしい真 実。真実を暴いた結果、イオカステは首を吊り、オイディプスは盲目となり、乞 食になる。
ここにはどうも、人間同士の憎しみや私情から起こる物語とは少し違うものを 感じる。相手に対する嫉妬や憎しみ、恨みなどは無いからだ。(オイディプス は、ついかっとなり、{そうとは知らずに}実父を殺してしまうが、これは事故に 近いと思う。)
何か、もうひとつ『向こう』の大きな流れがあるように思えてならなかったのだ。 そのため、3回の作品があのような構成になった。

罪、罰、オイディプス、妻、母、父、汚れ、人、大きな流れ、苦しみ、産み、叫 び、うめき、イオカステ、ライオス、鎖、血、犬、赤ん坊、手、盲目…
こんなふうに浮かび上がった言葉をぶつぶつと並べ立てているうちにできた のが『つみ つま』である。やはり、解体して、さかのぼる作業だったのだ。

人の意識の外に流れている大きな流れ。それを認識したかったのかもしれな い。


※ココまでの文章は九月二十七日の時点での考察。ここからは二十八日か ら二十九日の深夜に書いた文章である。




「ライオス(実父)を殺してしまったのは、事故だと思う」と友人に話したら、
「でも、ひょっとしたらオイディプスは身体の何処かで相手が実父だと知ってい たかも知れない。」と言われ、雷に打たれた。
なんて事を言いやがるんだ、コイツは。

もし、そうだとしたら。オイディプス(達)の行動が、全て意識の奥底の声に動 かされたものだったら…。


予言を避けるために自らの子供を捨てた(殺した)ライオスとイオカステ。二人 (特にイオカステが)後悔しなかったわけがない。苦悩しなかったわけがない。
両親に捨てられた(殺された)オイディプス。身体の何処かでその事を認識し、 自分の知り得ない部分で父と母に対する憎しみを持ち続けていたとしたら―

この物語の裏側に流れているのは復讐劇という事になる。

イオカステは苦悩しただろう。殺した我が子のことを思い、長い年月、さいなま れて来ただろう。人間は、記憶を忘れる事はできても、消す事はできないの だ。
オイディプスがその子だと知った瞬間、イオカステの体内をものすごいスピー ドで何かが駆け巡ったはずだ。
封印していた情報(と書く)は血を逆流させ、全身をあわ立たせ、それこそ、彼 女を奈落の底へ突き落としただろう。
――なんてことだ。なんてことだ。なんてことだ――
だが、同時に彼女の頭の中で、それを受け入れる声がする
――「罪」・「罰」――
イオカステは知っていた。身体の何処かで知っていた。いつかそうなることを 知っていた。
その時が来た。
忘れた頃に。まるで導かれるように。
――恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。――あの男はあの子だ。私の分身だ。罪 そのものだ。そしてあの人はそれを知る。知ってしまう――

イオカステの最後の言葉
「―ああ、ああ、哀れなおかた!―いまはもう、ただこれだけがあなたに申し 上げる事のできる最後の言葉。これでおさらばでございます!」

そして、イオカステはライオスの名を叫び、首を吊り、死ぬ。

※僕は、この死は結果的にイオカステの『勝ち逃げ』だと思っている。オイディ プスに何も語らず、自分を殺すこともさせず、自ら命を絶つ。後に残されたオ イディプスはぶつけようのない感情と、母を、父を死なせてしまった罪にさいな まれる。これは『呪い』に近い。
ひょっとしたら、何も知らずに死んだライオスを、彼女は恨めしくすら思ったか も知れない。


オイディプスはどうだろう?真実を知った瞬間、彼を襲ったのは自らの意思と 遠く離れてしまった自分の身体。父を殺し、母とまじわった忌まわしい身体。そ れは全て自分の意識の外で流れる大きな力によって『動かされた』と感じたの では?
感じたとき、奥の奥の奥で蠢く、復讐の声を聴いたのではないだろうか?

自分は知っていた。
自分の行動は全て『必然』の中で行われていた。導かれていた。

―傀儡(くぐつ)―

母も父も死んだ。願いは果たされた。そして自らは肉親を死なせてしまった罪 に襲われる。絶頂に立っている時にそれは起こった。もう一人の自分はそれ を望んでいる。業火に焼かれ、血の涙を流しながら、高笑いをしているのだ。

「ああ、思いきや!すべては粉うかたなく果たされた。おお、光よ、おんみを目 にするのももはやこれまで――生まれるべからざる人から生まれ、まじわるべ からざる人とまじわり、殺すべからざる人を殺したと知れた、ひとりの男が!」


自分の行動は、実は何かによって動かされている。操られている。
自分の意思はどこにもないのだろうか?だとしたら、人とはいったい?
恐ろしい疑問を突きつけられてしまった。やばい。やばい。やばい。


   (休憩30分)


―こんな戯曲が2500年以上も過去に書かれていたとは、本当に驚く。そして、 現代までずっと生きつづけているのだ。

人間の生に意思はないのか?
多分、おそらく、『オイディプス王』という戯曲では、一縷の望みを残している。
オイディプスが、イオカステの死体を前にして、自らの両目を潰した事。圧倒 的な流れに押しつぶされそうになりながら、ギリギリのところで踏みとどまり、 汚れた自分をさらし、生きたこと。それは、確実にオイディプス自身の意思だ と思う。
抵抗、とも言えるかも知れない。
イオカステも。最後に台詞として残したのは、息子への哀れみだった。


いまさら、とんでもない題材を与えられた事に気が付いた。3回の発表でやっ と。
林さんの言っていた「ひとつの物事に対して、しつこくしつこく追求していく事」 の大切さとは、こういうことなのかも知れない。


 自分の奥底へ。見つかるのは、ヘドロか?ビー玉か?


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