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五月三十日 深夜
この間、林さん、MAIKOとファミレスで話し合いをした。
数ヶ月間、WSを(実質)休んでいたわけだが、それについてと、6月の研究試
演に参加することの表明。個人的な反省については、書くべきことがあまりに
多すぎるので、ここでは『オイディプス』の製作に関わる事のみ、記載する。
前回、『オイディプス』に<犬>を組み合わせてみたのだが、林さん曰く、「犬
は面白い」との事。ただし、僕の解釈と林さんの意味する<犬>は相当な違
いがあった。
僕は、本番の寸前にぽっと「王の遠吠えはあまりに悲しいな」と思いつき、取り
入れただけである。もちろん、それなりの理由はあるが。
自分の出生の秘密を知ってしまい、絶頂から突き落とされ、自分という存在の
汚らわしさに打ち震えるオイディプス。その心情を吐き出す(乗っける?)の
に、台詞以外の何かが欲しかったのだ。で、負け犬。断ち切れない鎖との兼
ね合いもあったので(とはいえ、あの作品が最低の出来だったのは自覚して
おります)。
林さんの言う<犬>とは「人間」の思い上がった思想への皮肉(警告)だ。
オイディプスは、王である時の自分に少なからず自信を持っている。国を救っ
た英雄として、奉られ、権力、財、地位、全てを手に入れたのだから当然とも
言えるだろう。
が、それらはある日、一瞬にして崩れ去る。
絶頂からの転落。自分の存在の認識が180度覆される。その時になって思い
知る、自分の価値。抗えない大きな運命の流れ。存在の危うさ。
転落していく『オイディプス王』を通し、「自分たちは万物の霊長だ」という思い
上がりから来る、人間の傲慢さに警告を与えているのだ。
林さんは言った。
「犬のほうが偉いかも知れないじゃないか。そして、ギリシャ悲劇にはそういっ
た(宇宙的?)思想が、元々込められているんだ。僕はそういう意味で<犬>
は面白いって言ったんだよ。でも、桑原君、解かってないでしょ?」
はい。解かってませんでした。
つづく
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六月一日 深夜
自分は、この『オイディプス』を通して、何を観客(立会人)に提示したいのだろ
う?
自分の普段思っている事や、不満などを伝えればいいのだろうか?いや、「そ
れをそのままやったってつまらない」って、林さんも言っていた。
しかし、演じるのは自分だ。
戯曲の人物を自分を通して演じると言う事は、どんなことなのだろう?
そもそも、自分に何かを語る程の資格があるのだろうか?
舞台に上がる資格があるのだろうか?
最近、そんなことばかり考える。
こんなことを考えている時点でズレているのだろうか?
きっと、誰かが僕に同じ事を言ったら、僕はその人に「資格なんぞいるかい!
いいからさっさとやれ!」って言うと思う。勝手なもんだ。でも、その通りなの
で、やろう。
何のために? 何をどうする? 何がしたい? 何ができる?
何ができる?自分には何ができる?
自分の信じていること、言い切れることはなんだ?
いかん、生産的なことなんにもしてない…。
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そういえば、林さんとの話の中で、神格的な事についての話が出た。
現代は自然に対する畏怖や敬意が欠けている時代だ。(以前にも書いたが)
それは人間の思い上がりで、とても危うい思想だ。ということ。
自分(達)が最も尊い存在だという考えは、他者の存在を否定することにな
る。他者を傷つける事に疑問を抱かなくなる。そこに数の暴力が入ると、最悪
だ。
それはそのまま、戦争につながり、いじめにつながる。(と、僕は思う。)
自分勝手な考えは他人を傷つける。
今、現代人が自覚しなければいけないのはこの事ではないだろうか?少女が
友達を刺してしまったからって、TVドラマからナイフで刺すシーンを減らせばい
いってもんじゃない。
…えーと。なんか話がズレてきたかな?
別に、オイディプスが思い上がった王であるとは思っていないし、説教くさいこ
とを言うつもりもないのです。そもそも言うほどモノ知らないし。
ただ、『戦争』、僕はあんなものは大嫌いだ。そこにどんな時代的背景や政治
的事情があろうが、知ったことじゃない。誰かが死んだ、誰かが殺した。そん
な事は聞きたくもない。『意義のある戦争』なんかあるはずがない。誰かが死
ねば誰かが悲しむ、誰かが殺しても悲しむ。それだけ。
幾多の争い。結局、それは人間の小さなプライドから起こっている。
ちっぽけな人間のちっぽけな感情。
それが他者を傷つける。殺す。奪う。踏みにじる。
そして、大きさの違いはあれ、自分もどこかで他者を傷つけている。
ちっぽけだ。なんともちっぽけだ。
ヒトはちっぽけだ。自分はさらにちっぽけだ。今の自分はこんなもんだ。
さあ、何をしよう?
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先日、久しぶりにWSに参加。
林さんと少し話し、テーマは以前にも出た「人間の傲慢さ」に決定。
「自然と人間」ってことになるんだろうか?大きなテーマだなあ…。
僕は日本古来の文化が好きである。
着物など、なんでもそうだが、田や土とともに生きてきた農耕民族のニオイが
する。
別に欧米の文化が嫌いというわけではなく、多分、都会が嫌いなのだ。田舎
者ですから。
どうも、コンクリートは落ちつかない。気が滅入る。せっつかれる。
何かの本にかいてあったが、現代の四角い建築物って、自然への対抗意識
の表れなんだそうだ(自然界にあんなきっちりした形の物体は存在しない。自
然物は皆、不定形なのだ)。
能やギリシャ悲劇といった、古典と呼ばれるモノ達は、自然の中で培われ、育
ってきた芸術のように思う。決して敵わない存在への畏怖、敬意が感じ取れ
る。
いつから、その思いは薄らいで来たのだろう?
薄らいだ結果、何処に行きつくのだろう?
自然、戦争(争い)、流れ、運命、人、罪、報い、歴史、儚さ、呪い、犬、鎖、絶
頂、転落、父、母…
積み木の国家。
蟻の王国。
犬の王。
バッタの殿様。
カブトムシのヘラクレス。
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月曜日のWSに参加。バイトが長引き、遅刻。二度と日雇いバイトはやらん。
再び、林さんとミーティング。MAIKO、うめちゃんも同席。
今回、俺のテーマは、「さらけだす事」。
プライドやカッコつけをぬぎ捨て、カッコ悪いことを認め、自分を痛めつける
事。(ある意味)マゾになる事。
俺は親に殴られた事がまったく無い。27年間、少なくとも記憶には無い。
「ひょっとしたら、それは不幸かもしれないね」と、林さんは言った。おそらく、
そうだと思う。
他人に本気でぶつかって行ったことが果たして何回あるだろう?いや、無い
のかも知れない。
本音を出すのは怖い。どうにも怖い。
でも、「出したい!」というどうにもならない声が奥の奥の奥のそのまた奥に、
ある。
が、さらけ出すといっても、どうしたらさらけ出したことになる?
そんなことすら、さっぱりわからない。頭が悪い。本当に悪い。俺は自分が大
嫌いだ。
こんな考えを作品に使っていいのか?面白いのか?
おそらく、そのままでは使えない。
自分の気持ちをわかってもらう事が目的ではない。そんなものは、自分が客
なら観たくない。自分という器を通して、あるモノを生む(産む)。それをしなくて
は。
実験創造工房とは、「自己探索の場」である(って林さんは言ってました)。
自分を知れ。自分の中の声を聴け。もう、目をそらすな。
認めろ。ごまかすな。戦え。
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