【実験・創造工房】


創作日記
『オイディプス・U』
モノプレイ
構成・演出・演技 桑原健

実験・創造工房 研究試演W
2004年6月28日(月) 
麻布ディ・プラッツ
監修 林英樹

『オイディプス・2』創作日記 その@
五月三十日 深夜

この間、林さん、MAIKOとファミレスで話し合いをした。
数ヶ月間、WSを(実質)休んでいたわけだが、それについてと、6月の研究試 演に参加することの表明。個人的な反省については、書くべきことがあまりに 多すぎるので、ここでは『オイディプス』の製作に関わる事のみ、記載する。


前回、『オイディプス』に<犬>を組み合わせてみたのだが、林さん曰く、「犬 は面白い」との事。ただし、僕の解釈と林さんの意味する<犬>は相当な違 いがあった。

僕は、本番の寸前にぽっと「王の遠吠えはあまりに悲しいな」と思いつき、取り 入れただけである。もちろん、それなりの理由はあるが。
自分の出生の秘密を知ってしまい、絶頂から突き落とされ、自分という存在の 汚らわしさに打ち震えるオイディプス。その心情を吐き出す(乗っける?)の に、台詞以外の何かが欲しかったのだ。で、負け犬。断ち切れない鎖との兼 ね合いもあったので(とはいえ、あの作品が最低の出来だったのは自覚して おります)。

林さんの言う<犬>とは「人間」の思い上がった思想への皮肉(警告)だ。

オイディプスは、王である時の自分に少なからず自信を持っている。国を救っ た英雄として、奉られ、権力、財、地位、全てを手に入れたのだから当然とも 言えるだろう。
が、それらはある日、一瞬にして崩れ去る。
絶頂からの転落。自分の存在の認識が180度覆される。その時になって思い 知る、自分の価値。抗えない大きな運命の流れ。存在の危うさ。
転落していく『オイディプス王』を通し、「自分たちは万物の霊長だ」という思い 上がりから来る、人間の傲慢さに警告を与えているのだ。

林さんは言った。
「犬のほうが偉いかも知れないじゃないか。そして、ギリシャ悲劇にはそういっ た(宇宙的?)思想が、元々込められているんだ。僕はそういう意味で<犬> は面白いって言ったんだよ。でも、桑原君、解かってないでしょ?」

はい。解かってませんでした。                       

つづく

『オイディプス・2』創作日記 そのA
六月一日 深夜 


自分は、この『オイディプス』を通して、何を観客(立会人)に提示したいのだろ う?

自分の普段思っている事や、不満などを伝えればいいのだろうか?いや、「そ れをそのままやったってつまらない」って、林さんも言っていた。
しかし、演じるのは自分だ。

戯曲の人物を自分を通して演じると言う事は、どんなことなのだろう?
そもそも、自分に何かを語る程の資格があるのだろうか?
舞台に上がる資格があるのだろうか?
最近、そんなことばかり考える。
こんなことを考えている時点でズレているのだろうか?

きっと、誰かが僕に同じ事を言ったら、僕はその人に「資格なんぞいるかい! いいからさっさとやれ!」って言うと思う。勝手なもんだ。でも、その通りなの で、やろう。

何のために? 何をどうする? 何がしたい? 何ができる?

何ができる?自分には何ができる?
自分の信じていること、言い切れることはなんだ?

いかん、生産的なことなんにもしてない…。

『オイディプス・2』創作日記 そのB
そういえば、林さんとの話の中で、神格的な事についての話が出た。
現代は自然に対する畏怖や敬意が欠けている時代だ。(以前にも書いたが) それは人間の思い上がりで、とても危うい思想だ。ということ。

自分(達)が最も尊い存在だという考えは、他者の存在を否定することにな る。他者を傷つける事に疑問を抱かなくなる。そこに数の暴力が入ると、最悪 だ。
それはそのまま、戦争につながり、いじめにつながる。(と、僕は思う。)
自分勝手な考えは他人を傷つける。
今、現代人が自覚しなければいけないのはこの事ではないだろうか?少女が 友達を刺してしまったからって、TVドラマからナイフで刺すシーンを減らせばい いってもんじゃない。

…えーと。なんか話がズレてきたかな?
別に、オイディプスが思い上がった王であるとは思っていないし、説教くさいこ とを言うつもりもないのです。そもそも言うほどモノ知らないし。
ただ、『戦争』、僕はあんなものは大嫌いだ。そこにどんな時代的背景や政治 的事情があろうが、知ったことじゃない。誰かが死んだ、誰かが殺した。そん な事は聞きたくもない。『意義のある戦争』なんかあるはずがない。誰かが死 ねば誰かが悲しむ、誰かが殺しても悲しむ。それだけ。
幾多の争い。結局、それは人間の小さなプライドから起こっている。
ちっぽけな人間のちっぽけな感情。
それが他者を傷つける。殺す。奪う。踏みにじる。

そして、大きさの違いはあれ、自分もどこかで他者を傷つけている。

ちっぽけだ。なんともちっぽけだ。

ヒトはちっぽけだ。自分はさらにちっぽけだ。今の自分はこんなもんだ。
さあ、何をしよう?

『オイディプス・2』創作日記 そのC
先日、久しぶりにWSに参加。
林さんと少し話し、テーマは以前にも出た「人間の傲慢さ」に決定。
「自然と人間」ってことになるんだろうか?大きなテーマだなあ…。


僕は日本古来の文化が好きである。
着物など、なんでもそうだが、田や土とともに生きてきた農耕民族のニオイが する。
別に欧米の文化が嫌いというわけではなく、多分、都会が嫌いなのだ。田舎 者ですから。
どうも、コンクリートは落ちつかない。気が滅入る。せっつかれる。
何かの本にかいてあったが、現代の四角い建築物って、自然への対抗意識 の表れなんだそうだ(自然界にあんなきっちりした形の物体は存在しない。自 然物は皆、不定形なのだ)。

能やギリシャ悲劇といった、古典と呼ばれるモノ達は、自然の中で培われ、育 ってきた芸術のように思う。決して敵わない存在への畏怖、敬意が感じ取れ る。

いつから、その思いは薄らいで来たのだろう?
薄らいだ結果、何処に行きつくのだろう?

自然、戦争(争い)、流れ、運命、人、罪、報い、歴史、儚さ、呪い、犬、鎖、絶 頂、転落、父、母…

積み木の国家。

蟻の王国。

犬の王。

バッタの殿様。

カブトムシのヘラクレス。

『オイディプス・2』創作日記 そのD
月曜日のWSに参加。バイトが長引き、遅刻。二度と日雇いバイトはやらん。
再び、林さんとミーティング。MAIKO、うめちゃんも同席。

今回、俺のテーマは、「さらけだす事」。
プライドやカッコつけをぬぎ捨て、カッコ悪いことを認め、自分を痛めつける 事。(ある意味)マゾになる事。
俺は親に殴られた事がまったく無い。27年間、少なくとも記憶には無い。
「ひょっとしたら、それは不幸かもしれないね」と、林さんは言った。おそらく、 そうだと思う。
他人に本気でぶつかって行ったことが果たして何回あるだろう?いや、無い のかも知れない。
本音を出すのは怖い。どうにも怖い。
でも、「出したい!」というどうにもならない声が奥の奥の奥のそのまた奥に、 ある。
が、さらけ出すといっても、どうしたらさらけ出したことになる?
そんなことすら、さっぱりわからない。頭が悪い。本当に悪い。俺は自分が大 嫌いだ。

こんな考えを作品に使っていいのか?面白いのか?
おそらく、そのままでは使えない。
自分の気持ちをわかってもらう事が目的ではない。そんなものは、自分が客 なら観たくない。自分という器を通して、あるモノを生む(産む)。それをしなくて は。

実験創造工房とは、「自己探索の場」である(って林さんは言ってました)。
自分を知れ。自分の中の声を聴け。もう、目をそらすな。
認めろ。ごまかすな。戦え。


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林英