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オイディプスはイオカステの死を目の当たりにした時、自らの目を串刺しにし
た。『自害』という選択をしなかった。その点で、彼は強い人間だと思う。「首を
くくっても、なお償いきれるほどのものではないのだ」と言ったオイディプスは、
実父、実母を死に至らしめたおのれ自身を誰よりも憎み、汚らわしい存在だと
呪った。
そして、自分に罰を与え、自らを傷つける事で自我を保った。それは、狂う事
すら自分には許されないという戒めなのかもしれない。
彼は、許しは求めていない。
姿をさらし、「生きること」が彼自身が与えた罰なのだ。
自分の立たされた状況を嘆くより、立ち向かおうとしたのだ。
「自害(自殺)」とは、「逃げ」だ。
困難から逃げず、苦しみの生を選んだオイディプス。彼は強い人間だ。
ギリギリのラインで踏みとどまり、自らの姿を直視する人間の発する言葉の力
は計り知れない。
飾りを脱ぎ捨て、痛みを受け止め、それでも生きる。生きる。生きる。
ああ、なんて悲しくも美しい姿であろうか。
「苦しみ」とは「生」だ。痛みを知るから、優しく、強くなれるのだ。
目を潰したオイディプスには、いったい何が見えていただろうか?
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