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実験・創造工房]V
2007年3月27日(火)19時ー21時
ザムザ阿佐谷
監修 林英樹



テラ・トライアル(集団創作)
『ノラ〜人形の城〜』
(50min.)
製作:テラ・アーツ・ファクトリー

(7月公演予定『ノラー人形の家』仮ちらしより)
●集団創作・出演 
根岸佳南江、藤井理代、井口香、中内智子、志村麻理子、横山晃子、入好亜紀、佐藤和紅
(以上、テラ・アーツ・ファクトリー団員)

●引用文字テクスト ◎様々な「女性誌」のキャッチコピー、◎私の携帯電話、PCに毎日飽き
もせず、なりふりも構わず送られてくる「非承認広告メール」、いわゆるエロメール ◎佐藤和
紅の独り言 

●メタ・テクスト 『人形の家』(イプセン著)

イプセンの『人形の家』が書かれてから100年以上経ち、近代の夜明け、<私>の主体の確
立を社会の中にめざした世界は、迷走、錯乱したまま一体どこに向かうのか?という質問を自
分にしてみました。「わっかりませーん」では表現者として失格。ビジョンを提示し、構造化する
(世界をフィクショナルに再構成してみる)、そこが出来るか否か。しかし、ことはそんなに簡単
ではない。で、放棄する?いえいえ、だからこそ探求が、繰り返し、錐揉み状に、地道に、徹底
して重ねられるべき。そういう作業の一環として『ノラ』を想定し、それは7月公演を最初のスタ
ートに連続してゆくつもり。で今回は、その最初のジャブ、試し打ちとしました。

私が学生時代、初めて演劇に関わったのが『人形の家』をベースとした作品でした。そこで一
番気にかかったのが、夫を捨て、家を出たノラが、その後どこに行ったのか?彼女を受け入れ
るシステムが、果たしてこの社会に確立されているのか?同様に子を産み、そして夫と家を捨
てた現代の「ノラ」に、はたして行く先はあるのか?社会はそうした自立をめざす主体を受け入
れる「近代」的システムになっているのか???

今回は、あくまで7月上演のプロローグ的な感じで作ってみました。昨年12月の「実験・創造工
房]U」で根岸佳南江、佐藤和紅が「モノプレイ」として創作したものに興味が惹かれ、それを
受け止め、組み込み、そこから発展させてみることにしました。でも、ちょっとプロローグにして
は長くなってしまった。これは第一部かな???まずは、<外なる身体>から<内なる身体>
へという<私>の変容のプロセスと、<身体なき私>の錯乱する仮象世界=現実に置き去り
にされた<私>の<内なる身体>の反抗そして反攻、までを構造化。(林 英樹)




個人創作<モノプレイ>
『カエル』(20min.)
●構成・演技 桑原 健
(シアターファクトリーWSメンバー)

●「跛(びっこ)」「聾(つんぼ)」「唖(おし)」「吃(どもり)」「盲(めくら)」「気狂い」「四本指」「土人」
「鮮人」「三国人」「癲癇」「部落」「穢多」「非人」「白痴」「足切り」「トルコ風呂」「ジプシー」「エスキ
モー」「ブッシュマン」「家系」「OL」「未亡人」「父兄」「パーマ屋」「士農工商」「ブラインドタッチ」
「溺れ死ぬ」等々・・・。

これらは現在、差別用語(差別表現)または放送禁止用語とされている言葉(の一部)です。上
記の言葉には、パソコンで変換されなくなってしまったものも多くあります。いつの間にか、言葉
は規制され、抹殺されているのです。その差別用語がなぜ生まれたか、どんな歴史があった
のかも、どんどん隠蔽されていくのです。

           ♪おいらはカエル 良いカエル♪


●参考文献:
『差別表現の検証 ―マスメディアの現場から― 』  西尾秀和(著)
『差別用語の基礎知識〈'99〉―何が差別語・差別表現か?―』   高木正幸(著)
『実例・差別表現 ―糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ― 』
堀田貢得(著)
『笑犬樓よりの眺望』  筒井康隆(著)
『笑犬樓の逆襲』  同上 
『笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー』 同上
『断筆宣言への軌跡』  同上
『ことば読本―ことば遊び―』  河出書房新社  
『演劇とその形而上学』  アントナン・アルトー(著)
『悪魔の辞典』  アンブローズ・ビアズ(著) 筒井康隆(訳)
『目からウロコの教育を考えるヒント』  清水義範(著)
その他



集団創作
『フランドン農学校』(20min.)
(宮沢賢治原作より)
●吉田健二、江口和樹 構成・演出・演技
(シアターファクトリーWSメンバー)

人は生きている、豚は食べれる、だが、状況はたえず逆転している。食べれる目的で生きてい
る、生きるために食べ物を作る、正反対のはずの生産と消費がもしも近づいたなら・・。


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